「心の発見」(神理編)高橋信次

ポイント

各ポイント詳述…ご著書より

不調和な原因とは

 

自分の欲望が満たされないために起きています。

 

  • 人より偉くなりたい。
  • 良い着物を着たい。
  • うまいものを食べたい。
  • 環境の整った家に住みたい。
  • 子供を有名校へ入れたい。

 

きりがない欲望の泥沼。

結果、欲望の奴隷になって安らぎの生活を得ることができなくなるのです。

 

地位や名誉や財産が、人生を豊かにするでしょうか。

人生は短いものです。

 

悔いのない毎日の生活の積み重ね、その中での反省は、人間の心をより高い次元に浄化させるものです。

社会現象の外面にとらわれることなく、内面の心を中心とした調和こそ、神の意であり、神理にそった生活でしか得られないものなのです。

 

太陽の熱、光は万人に平等であり、神仏の慈悲、愛もまた平等である。

八正道

 

私たちは、転生輪廻している生命であり、神仏の命によって魂の修業を神仏の体であるこの現象界に、調和のとれた仏国土を築く使命を持って生まれてきました。

 

1秒1秒、私たちはその循環の時を刻んでいます。

生老病死。

この苦しみについて「八正道」という生活によって心の解決をすることができます。

 

 

1. 正見(しょうけん)

 

共通の立場で見ること

 

ものを正しく見る。

多くの場合、外見で判断してしまいます。外見で判断するのは誤りのもとです。

客観的に見た現象や印象について、正しい心の眼で判断することが必要です。

ものごとの原因と結果について、さらに第三者として、己を中道において考える。さらに相手の心になって考えることも必要でしょう。

 

2. 正語(しょうご)

 

愛のある言葉を発する

 

正しく語る。語ることとは「言霊」となって相手に伝わるということです。

私たちの言葉は、相手の耳をとおして不調和か調和か、いずれかの現象になります。

 

すぎたお世辞や、横暴な語りは人の心を傷つけます。その原因は結果となって自分に跳ね返ってきます。

よく自分の心に問い、自分が相手の心になって語り合うことです。

 

強い言葉は相手の心に不調和を呼びます。

かりに相手が怒鳴ってきても、自分が正しいと第三者の立場で考えてから結論が出ても、反発はしてはいけない。

反発の心は自己保存で、自己中心的な考え方である。

 

争うことは、不調和な原因をつくり出すことになります。

「語る」ということは、自分と相手の意志とが交流することです。

 

3. 正思(しょうし)

 

ものごとの根本的なものを思うこと

 

正しく思う。思うということは、考えるということです。

見る、聞く、語るということにしても、まず正しい中道の神理をもとにして、考えなくてはならない。

自己本位の考え方は、身を滅ぼす結果を生じます。

 

それは神理である大調和の原則に反するからです。

自己主張は自己にもどる。競争相手を蹴落とそうとする思いなどは己に帰ってきます。

「馬鹿野郎」といえば「馬鹿野郎」と返ってくる山彦のように。

 

常に他人の幸福を思う心は、行為につながっていけば己にまた帰ってくるものです。

悪い原因と同じように、良い原因も循環します。

 

4. 正業(しょうぎょう)

 

豊かな魂をつくる仕事をする

 

正しく仕事をする。

この現象界での修行は、物質、経済の場です。

与えられた仕事こそ天職であり、そのために生命の保存ができるのですから努力して、成果を上げなくてはまりません。

 

生活のための仕事に対しての不平不満の心が存在することは、すでに感謝の心が失われています。

資本家は経済観念の上に、より次元の高い心を悟り、自己利益の追求の仕事に終始しないことです。

利益も労働力によって得られるのですから、やはり報恩の心はその労働力に対して感謝の心を示さないといけないのですね。

 

この感謝の心の表現とは、生活の安定を保証することです。

 

※不退転の正しい事業体とは

労使の心と心の調和が取れ、互いに幸福のための団結が計られ、自己保存、自我我欲を捨てた事業体は、神理に適った団体です。

 

正しい仕事への情熱、人々の心の調和度に比例した環境は、神仏の光によって保護されます。

大自然の法則にそった正しい仕事は社会人類を幸福に導き、より高い次元へ己の魂を磨き、調和の環境を築き上げていきます。これが、仕事の本質です。たずさわる人々の心が大切なのです。

 

闘争と暴力によって作り上げられたすべての結果は、闘争と暴力によってまた覆される。

勤勉と努力によって作り上げられた社会は調和と安らぎの環境となり、より高い文明を築き、私たちの魂はより高い次元に進化されていきます。

 

5. 正命(しょうみょう)

 

長所を伸ばし短所を正すこと

 

正しく生きる。

私たちは、眼で見た現象面のみで判断を下してはいけないのです。

正しく見る心の修行、そうした構えで、的確な判断をし、中道の考えの中から出た調和の心によって結論を出すことが必要なのです。

 

神社仏閣に行って神仏に祈ることが信仰ではありません。祈りの心を持ち続けることが本当の信心なのです。

生活と結びつかない信仰は、すべて宗教としての存在価値のないものです。

 

6. 正進(しょうしん)

 

社会関係を調和すること。

正しく道に精進する。

私たちの人生は、肉体を持って80年か90年であり、肉体の舟に乗ってしまうと表面意識が10%、潜在意識が90%となり、ほとんど目先のことしか分からないのです。

 

これは修行の場としては非常に良い(厳しい)環境です。

しかし厳しい環境(目先のことしか分からない)なため苦悩の原因を自ら作り出し、悪いことでもどうどうとやってしまうこともあります。

 

そして人生は暗闇だ!などと言うのですが、正しい生活をしていれば決して暗闇ではありません。

一人ひとりの心を重んじ、我欲にもとづいた考えを正して、自分の言動を、第三者のつもりで注意深く見守りながら生活することが、正しい生活というのです。

 

7. 正念(しょうねん)

 

三千世界に通じる心の針

正しく念じる。

現代宗教の多くは、ただ祈るだけが、念ずることだと思っています。

経文というものは、拝むための道具ではありません。経文の中に書いてある意味に私たちの眼は向かないといけないのです。

 

亡くなった人に、お経を上げることで功徳があると信じているのは大きなまちがいですね。

この世を去った人の霊がその経文の意味すら分からないのになぜ功徳があるのか、ということを考えてみることです。

 

物理学で言う慣性の法則は私たちにも当てはまります。

人間は、現世での生活状態、心で思っている状態を持ち続けながらこの世を去って行くものであって、死んでしまったら即座に仏にはなりません。

 

私たちは、正しい心のあり方を悟り、神仏に祈ることもただ自己保存の祈りではなく、感謝の念を持ちその心で実践する中に、より以上の力を神仏から得られるものです。

 

人間は生き神さまになど決してなれません。神は己の心にありと知るべきなのです。

 

8. 正定(しょうじょう)

 

第三者の眼で反省をする

正しく定に入る。

私たちは、神仏の子としての自覚ができることによって、毎日の生活自体が変わってきます。

 

注意すべきは山中にこもったり、滝にうたれたり、肉体をいじめたりしても決して悟れないしそれは反省とは程遠いものだということです。

 

人生は短いものです。

 

悔いのない毎日の生活の積み重ね、その中での反省は、人間の心をより高い次元に浄化させるものです。

 

社会現象の外面にとらわれることなく、内面の心を中心とした調和こそ、神の意であり、神理にそった生活でしか得られないものなのです。

 

太陽の熱、光は万人に平等であり、神仏の慈悲、愛もまた平等である。