「心の旅路」第1巻-帰ろう故郷の星へ― 朽木丈人 講話集

ポイント

各ポイント詳述…

生まれてきた目的

 

私たちは、

  • なぜ生まれてきたのか
  • どこから来て、どこに帰るのか
  • どこに行くのか

こういうことを考えることが大切ですね。

 

高校生に尋ねました…

「お釈迦さんを知っていますか?」

「君が代って知っていますか?」

「日の丸って何ですか?」と…、

全部知らなかったんですね。」

 

困ったものですね。

こういうことは、自分勝手すぎるということですね。

波動の周期と現象化 -心が明るいか、暗いか-

 

人間というものは、一秒一秒、心の中が波になっているのです。

「ああ、あの人良い人だなぁ」と優しい人のように見えても、心の中は全然ちがっていることもあるのです。

 

そういう時に、いろんなことが起きてきます。

 

たとえば飛行機の墜落事故(御巣鷹山のJAL墜落事故のこと)…乗っていた人がたくさん亡くなりました。

その後もまた墜落事故がありました。

 

何か起きると、ドンドン似たようなことが出てきます。

これは、ドンドン出てくるのではなくて、そういう時間帯(周期)が廻ってきているということなのです。

 

そして、そういう飛行機を飛ばしてひる人たち、

その会社の幹部と、乗っているお客さんのうち三分の一の人の心が暗かったら「バチャン!」となってしまいます。

 

「え!残り三分の二の方が多いのに?」と思いたいですが…三分の一なのですね。

これは、三分の一の人たちの心が、悪い人とか…そういうことではないのです。

心の中が明るいか、暗いかなのです。

心が暗い人が多いと、事件や事故が起きてくるのです。

 

私たちは、毎日の生活の中は、心が明るいでしょうか、暗いでしょうか。

暗い人が三分の一いて事故や事件が起きるとしたら、自分の心の中に三分の一の歪みがあったら、どうなるでしょう?

… 暗い方に行ってしまうのですね。

この世を去った時に暗い方に行ってしまうのです。

そのくらい、自分の毎日の生活というものは、大切なのです。

 

嫌なこともあります。嫌なことがあると心も暗くなります。

しかし、なぜ嫌なことがあるのか、それを自分はどのようにしているのか

…それをよく自分で降り返ることが必要なのです。

 

天変地異…大きな山崩れや地震もそうなのです。

あれは自然が勝手にやってのではないのです。

あれは人間がやったのです。

天災は人災なのですね。

 

そうなる原因をちゃんと人間が作ってしまっているのです。

そういうものは自分の生活の中にみんなありますね。

悟りは毎日の生活の中に

 

お釈迦さんという人は、19歳の時に自分のお城を飛び出したのです。

 

なぜ飛び出したのか…それは自分の生活と他の人々の生活を見て、

「人間というのは、どうしてこんなにも不平等なのだろう、それには何か理由があるのではないか」と疑問を持ったのです。

 

そしてお釈迦さんは出家して、その疑問を追求していったのです。

 

いろんな修行場を訪ねますが、なかなか本当にわかるような人がいなかったのです。

 

そして菩提樹の木の下で禅定をして6年間、そのことを追求してみたのです。

でも何もわからなかったのです。

 

そして6年目の12月にネランジャラ川で沐浴(水浴び)をしていた時、村の娘の唄が聞こえてきました。

 

「♪~弦の音は、強く締めれば切れてしまう、

弱けりゃ音色が悪い。弦の音は中ほどに締めて音色が良い。

弦の音に合わせて、踊ろよ、踊れ…」

 

その唄にお釈迦さんは「はっ!」として…

「あっ!中ほどという、中道というものが大切なのだ。

両極端になってはいけないんだ。

 

私が長い間求めていたのはこれだったのだ」ということを悟り、

その中道というものをもう一度しっかりと心に入れて、もう一度禅定していったのです。

 

この唄は王子だった時に何度も聞いたことのある唄だったのです、それに今まで気づかなかったのですね。

しかし、このお話しはお釈迦さんがどうして悟ったのかということではなくて…

 

「私たち人間は、多くの人に対して、やらなければいけないことが、自分が毎日いやっている中に必ずある」

ということを振り返らないといけませんよ、という事なのです。

 

そしてお釈迦さんは、禅定から6年目、36歳のときにそのことがわかったのです。

そして21日間の禅定でアポロキティシュバラー(観自在菩薩…仏さま=すべてを悟った人)になったのです。

 

それ以降、45年間、81歳で亡くなるまで家ももたず、インド中を旅をして、

人々に「人間とはこうなんですよ…」というお話をしてまわられたわけです。

「数珠(じゅず)」の意味

 

これはバラモン教が使っていたものです。

 

経文をあげる時に、1回、2回と数えるためのものだったのです。

 

ジャリジャリやるためのものではないのです。

 

「お灯明(とうみょう)」の意味

 

仏壇にお灯明をあげて線香をあげますが…

 

これは、お釈迦さんが説法されるときに、真っ暗だから油で灯をズーーッと点けたのです。

 

線香は臭い消しですね。

 

当時は、虫よけのためにみんな木の汁を体に塗っていて臭かったのですね。

みんな集まるとすごい臭い!

これでは説法されるお釈迦さんに失礼だからと、

お弟子さんの、プルナ・イニプトラーという人が考えだしたのですね。

必死で生きる―苦境を乗りこえれば喜びが…

 

お釈迦さんが亡くなった後、その教えが正しく伝わる千年間が「正法時代」。

 

二千年目には、お宮さんを造ったり、伽藍や大きなお寺を造ったり、仏像を造って拝んだり、お経をあげたり…少し教えが曲がって伝わる「像法時代」。

 

三千年目になったら、どうしようもなくなって、お釈迦さんの教えもおかしなものに変わっている「末法時代」。

今は、その末法時代の中間ですね。

 

私たちは、拝んだり、話を聞いたり、理屈を言ったりして、

それで自分が幸せになれるなら、みんな誰でも幸せになっています。

ところが不幸な人の方が多いのです。

 

私たちは、自分のことをよーく、降り返った中で、自分のやっていることで

「だめだ!あきらめた」などと一切言わないこと―どこまでも行くことです。

 

私たちは良くなったり悪くなったりというリズムの中にいるのです。

ただ、その過程(途中)にいるから、わからないだけなのです。

 

私たちは「過程(途中)」のことはわからないです。

しかし、結果は出てくるから…。

 

自分の目の前にあるどんな事でも全部、自分が作っているのです。

自分を振り返って原因を追究することです。

 

そして悪い所を修正するこよです。

「自分には関係ない」なんてことは一切ないのです。

日本民族の起源

 

日本人とうのは、

 

  • まず中国大陸からの人、
  • 朝鮮半島からの人、
  • 南方民族、

そしてもともと居た土着の民族

 

…混血の民族なのです。

混血は強いのです。

頭もいいのです。

 

卑弥呼さんは、もともと南方民族(インドシナ半島)なのです。

それが舟で博多のあたりにやってきたのです。

失われた大陸-海の底へと消えた高度文明

 

1万年近く前、アトランテスという国がありました。

大西洋にあった大きな大陸です。

この国にアガシャー大王という人がいました。

大天使です。

人々に神理を説いておられました。

 

  • 人間はなぜ、生きているのか
  • 人間は、何をしなければならないか

ところが、アトランテスに人が増え、文明が発達してくると人間の心がだんたんと荒廃してっきました。

 

権力を使い自分の思うがままに…しようとする者も出てきました。

そして武器を持った悪党も出てきました。

 

こんな者たちが力をつけてきて、アガシャー大王のお手伝いをしていた天使たちをとらえて処刑したり拷問したり…

多くの天使たちは亡くなりました。

 

そしてアガシャー大王は16人の従者を連れて舟で逃れました。

そして1週間経った時、アトランテスは大爆発を起こしてあっという間に海の底に沈んでしまったのです。

 

アガシャー大王は、地中海をこえてアフリカのナイル川の奥地の逃れました。

また従者のうちの一部の人たちは南米の方に逃れました。

だからエジプト文明に似たものが南米にも残っているのです。

 

当時のアフリカは大変肥沃な土地で果物や野菜などたくさん取れたのです。

アガシャー大王はそこで神理を説いていったのです。

 

その後の時代には、天使のグループの人たちがこの世で法を説いています。

  • アモン(エジプト)、
  • リエント・アル・クラウド(南米アンデス/ペルー)、
  • イマネエル(イスラエル)、
  • クレオ・パロータ(エジプト)、
  • ゼウス(ギリシャ)、
  • 釈迦(インド)、
  • モーゼ…

 

このアトランテスの時代にアトランテスに住んで、

アガシャー大王の神理を聞いた人々が、今廻り廻って日本人として生まれてきている人がたくさんいます。

ジャブドーバー

 

今から2,500年前、

インドのお釈迦さんは弟子たちに…

 

「今から5の500年後(2,500年後)に、ここから東の方に小さな島国がある。

そのジャブドーバーという所に生まれ変わって、

そこのケントマティという所で、私は法を説きます。

その時にいっしょに出ましょうね」と言われました。

 

ジャブドーバーとは日本なのです。

ケントマティは東京です。

今、日本人には神理を理解できるものを持った人がたくさんいます。

お釈迦さんの生まれかわり

…高橋信次先生だと思いますね。

 

今もいろんな宗教がたくさんあります。

 

組織をつくり、信者を集め、自分たちの教祖は天使だ!神だ!と言っています。

 

本当に正しい教えとはどういうものか…

何を拝めば救われるのか…

 

高橋信次氏は

  • 「自分のことですよ。
  • 自分の悪いところを直さなかったら、
  • 自分が正しい行いをできるようにならなかったら、
  • 人には正しい話ができないし、
  • 喜びも提供できませんよ」

 

と仰っていました。

一万年に一回の輪廻

アトランティス大陸の日本人

 

私たち人間の魂というのは、6人が1組でグルグル回っている。

 

そのうち1人が、自分ですね。

後の5人はあの世にいて…自分が代表してこの世に出て来ていますね。

 

私たちは、この世=物質界に出てこれるのはグループのみんなが順調に行って、

  • 早い人で700年に一回、
  • 遅い人で1,000年か
  • 1,500年に1回。

まぁ1,000年に1回、6人が交代で出てくるのですね。

 

今、日本人として生まれている人たちでアトランテス時代に生きていた人たちが、

多いということは、自分自身がそこに住んでいて、

いろんなものを見たり、聞いたり、体験した、

6人1組の中の一人として、それを持って出てきているわけです。

 

それは1万年に1回という大きな機会なのです。

その時代に大天使の話を聞いて、今この時代に生まれ、

同じ人たちと日本人として巡り合い、また偉大な人の話を聞くことができたのですね。

 

人間は人に頼っても、物に頼っても幸せにはなれないのです。

 

私たちが生きているということは、

幸せになるために生きているのです。

 

幸せになるためにはどうしたらいいでしょうか。

 

自分が人間として、生活の中で努力をしなければならないということですね。

迷いのもと

 

私たちは、何か少しでも人が持っていないような霊的なものがあったり、何か学問的な知識がある人を見ると、その人が偉い人に見えてしまいます。

 

そしてそんな人に従うような、何かおかしなものを持っているわけです。

 

霊能とか霊道とか…いろんなことが分かったらいいだろうと思います。

 

しかし、これはとんでもないことなのですね。

何から何までわかったら、その人はこの世に生きていなくてもいいわけです。

 

私たちは、1秒先のことがわからない。

わからないから生きているのです。

 

私たちにはそれぞれの環境というものがあります。

霊的なものは無いのが本当なのです。

 

この物質の世の中は、分からないようになっています。

 

非物質の世界=あの世が90%あって、

今肉体を持っている物質の世界=この世が10%になって100%なんですね。

私たちは10%の中にいます。

 

人間は非物質の世界からこの世(物質の世界)に出て来ています。

だからどうしても心の中にあの世があるのです。

だから霊的なものやことに関心が向くのです。

 

ところがこれが「駄目」なのです。

この世で決められた時間の中、一所懸命に生きて行かなくてはいけない。

カンニングはできないのです。

 

しかし人間は心のことがわからないと、つい拝んで教えてくれるような所へ行ってしまうのですね。

人間は、自力が本当なのです。

自分に自信がないから何かにすがるのですね。

 

「どんなに辛くても、辛い目にあっても、自分はそれで一生を終わっても良い」と…

そのくらいのことを思っていれば、別にどうということはないのです。

 

そして、人間はなぜ生まれてきたのか、どのようにしなければいけないのか、

それをしっかり自分の心で分かったら、安心できると思います。

 

姿がないから死んだ人はもうどこかに行ったと思っていますけど、執着がある人は

姿は見えないけれど、まだいるんですよ。

ただ、こちらから見ても次元が違うから分からないだけです。

 

拝み屋さんで、神さまが降りてきて「ああだ、こうだ」と言ってくれる。

それを言っているのは、この世を去ったのに、まだその辺でウロウロしている人が言っているのです。

 

次元がちがったらいくらでもこの世の人のことは分かるんです。

気をつけないといけませんね。

行こう行こう彼の岸へ

 心のお荷物を捨て

 

『般若心経』とは…

  • 「宇宙はこういうものからできている」とか
  • 「私たちがいるところは、こうなっている」とか
  • 「人間の生きる道は、こういうことだ」

と書いてあるのです。

 

この「摩訶般若波羅蜜多心経」の最後の部分に

「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩堤薩婆呵」とあります。

 

「ギャテー、ギャテー…」というのは、インドの古代語で

「カテ カテ パラカテ パラサシ カテ ボージースバハー」と言っています。

「彼の岸へ行けるものよ、栄あれ。彼の岸に行こう、彼岸に行こう」ということです。

 

「彼の岸は善い人ばかりで、食べ物もたくさんある。

私たちは終わったら、彼の岸に帰りましょう。

彼岸に帰らなくてはいけないんですよ。

あそこにみんな行きましょうね。

 

私の話を一所懸命聞いて、実行したら、行けるんですよ。

それにはね、お荷物を降ろすんですよ」

 

心のお荷物ですよ。それを降ろしなさい。あの河は深いですよ。と…

 

これが、「三途の川」のことなんです。

高橋先生という方

 

お釈迦さんという方は45年間、法を説いて亡くなられた。

2月15日に81歳で亡くなられたんです。

 

そして今回、そういう方の話を、またくわしく話してくれる人が出てきたのです。

 

しかも自分の時間を承知して、時間一杯、本当に身も心も投げ出して話をしていった人がいます。

 

高橋信次先生…その人ですね。

 

人間は、今やっていることの結果がすぐ見たい。

しかし、学校の試験を受けて発表があって…とそんな簡単にはいかないのですね。

 

私たちの人生というものは、私たちの永い転生の中で、自分が作りだしたもので、今があるわけです。

着ているもの(肉体)がちがうだけで、心の中は一緒なのです。

 

今、自分がいろんなことで苦しんでいるとしたら、自分が蒔いた種の芽が出てきて苦しんでいるのです。

その種を、今度は刈り取らなければいけないのです。

 

お釈迦さんは、「私の話を聞いたら、みんなきれいになりますよ」なんて一切おっしゃていません。

 

「あなたたちは、自分の悪い所を修正しなさい。

そうしたら幸せになれますよ」とおっしゃったのです。

 

私たちは、自分というものに対し、

出てきたものを一所懸命に乗り越えていくほかにないのですね。

大自然の生命の神理

 

仏教に

  • 「諸行無常」
  • 「諸法無我」
  • 「涅槃寂静」と

…これを三法印といいます。

 

「諸行無常」とは、私たちの1秒1秒というものは、同じことは一切ない。どんどん変化していくということです。

 

「諸法無我」とは、私たちは自己本位では成り立たない。

「わたしが!わたしが!」という心があっては成り立たない。

自分というものをちょっと横において、お互いに協力できるようなものがなければいけない。

「秩序(みんなが成り立つきまり)を守る」ということです。

 

「涅槃寂静」とは、世の中のいろんなことに振り回されない、

静かな心の自分であるということです。

 

三法印の三は、世の中をグルグル輪廻しているということなのです。

 

みんな物、物、物…。

自分だけ自分だけと、みんなそうなってしまっていますね。

 

ほんとうの宗教とは…

  • 「大自然の神理を説き
  • 道徳を教え
  • 秩序ある社会を作り
  • 万生万物の幸せを教示したもの」

…なのです。

 

大自然の神理とは絶対の理のことです。

 

大自然は、すべて命があり、生きている。その命の神理を説く教えなのです。

道徳は、秩序ある社会をみんなで支えるために、

当り前に「配慮する」「心がけてやるべき」ことですね。

 

人間は、50歳を過ぎればもうサービス期間なのですよ。

他人にサービスするのですよ。

 

サービスできなければもうそれ以上生きていても意味がないということです。

人は物がない方が、ほんとうに執着から離れられて幸せなのですよ。

心を裸に

裏表のない生き方

 

私たち人間というものは、

生まれてきたら、

いやなものから逃げようとしても逃げられないようになっているんですね。

 

「こんなことが出てこなければいいのにな」ということが出てきたり。

欲しいと思ったものはなかなか手に入らない。

 

自分の思いどおりになって万々歳だ!という人がいたら、その人はおかしいです。

でも人間はそうなりないのですね。

 

自分の欲を果たすために人に迷惑をかけるとか、そ

んなものお構いなしにやっている。

 

そんな人が自分の近くにいたら、何かしら自分も、

そういう同じようなものを持っているから、嫌なものが出てきたり、見たりするのです。

 

自分の心がほんとうに明るく正しくなったら、

嫌なものは出てこないんです。

 

そうしたら「類は友を呼ぶ」法則のように、

自分が明るくなったら、暗いものは無くなってしまうのです。

 

しかしこれは「スグ!」とうわけにもいかないのですね。

私たちは転生輪廻を繰り返している中で出てくるわけですから、

結果を望んではいけないということなんですね。

 

結果を求めない代わりに

「自分のことを徹底的に反省する」ことなのです。

 

私たちの人生は裸なのです。

裸のつきあいですね。

本当は裏表があってはいけないということなんです。

どちらを見せても、

 

自分は人間として恥ずかしくない自分にならなくてはいけないということですね。

自然というものは、今日1日、起きてから寝るまでの間のことを、

その自然がどれだけのものを教えているかということです。

 

自分が生活している中で、いろんな人と会う、話しをする、見る

-その中に、すべて何かを自分に教えているものがある―ということです。

 

「じぶん」というもの=欲望というものが、

絶えず心の中にあったらできないです。

 

欲望とは、物に対しての欲望もそうですし、

思うことも欲望なんですね。